2012-11-09

我々は物質で作られていない

今年の2月に、エントリー「神とは我々自身のことだった」をアップしました。今回アップした当エントリーは、そこで検証した問題に関する追加情報です。以下の記述によって、みなさんからさらなる理解が得られることを望んでいます。

神の存在について議論する前に、まず我々が自分たち自身(の存在)をどのように意識するか理解しなければならないでしょう。なぜなら我々が、他でもない人間が神を意識するからです。デカルトは「我思う、ゆえに我あり」と主張しました。我々は自身だけでなく他人も、あるいは動物や植物も、我々の世界と宇宙、そして神でさえも意識する能力があります。

我々の脳は、感覚器を使用することによってそういったことを認識します。しかしながら人間のそういった「センサー」では、我々の「真実の世界」を意識するためには限界があるはずです。実際のところ、我々の視覚器は赤外線を見ることができないし、我々の聴覚器では超音波を捕らえることができません。この意味は、人間にそれを認識するための適当な「センサー」が欠けているため、我々が「真実の世界(万物)」の様子を確認することができないということです。

視覚・聴覚・味覚・臭覚・平衡感覚・存在感覚・深部感覚などの知覚を介すことによってのみ、我々は自身の確かな肉体や万物の存在を感じることができるのです。その結果によって、我々の意識は始めてそれらを認識すことができる。すなわち神をも含めた万物の存在は、我々、つまり人間の意識によっていると言えるでしょう。

したがって我々の世界や万物は、宗教が主張するように神によって創られたのではなく、人間の意識によって創られたというわけです。神は脳内で起こる幻想(妄想)にすぎません。ここでつけ加えれば、天国や地獄、悪魔と天使といったことも存在しません。

正しくそれを表現するには、「人間の集合意識」ないし「知的生命体の集合意識」と言うべきなのでしょう。なぜなら世界や万物の存在は、一個人の意思によって構成されているのではなく、人類すべての意思が互いに影響しあうことによって我々の世界を実現しているからです。

もし人間が持っていない、「真実の世界」を見ることができる特別な感覚器を持った者が存在し、そして観測したのなら、我々の世界はヴァーチャル・リアリティーのようなものかもしれません。なぜなら我々が自身の感覚器を使って我々自身の体が物質(粒子)で作られていると認識したとしても、真実は、それが「超球」によって作られているということなんです。

その超球とは、物質の元であったとしても物質ではありません。物質は幻想に過ぎないのです。周期表にある水素や酸素、そしてその他の原子もまた幻想なんです。このことを理解するためには、以下を参照してください。
超球理論と10次元の双子の宇宙(改訂版)

0 件のコメント:

コメントを投稿