2012-02-24

神とは我々自身のことだった

最近、Biocentrism(生物中心主義)という説を知ることになって、このときに、テレパシーによると思われるあることに気がついたんです。それはこのブログで繰り返し記述してきたように、(人類が認識する全ての)神は現生人類の旧脳によって生み出された妄想である、という主張の裏づけにもなるでしょう。

というわけで、私は神が存在しないと断言してきました。なぜなら第一に、いろいろと推測できたとしても、今まで神の存在が科学的に証明されたことなどありません(以下参照)。で、デカルトの「我思う、ゆえに我あり」について、私は何度かコメントしたことがあります。我々には自らを、そして他人やその他の生物を、地球上の我々の社会や世界を、さらには宇宙を認識する能力があります。そして神も同様に、我々によって意識・認識されているにすぎないのです。
神の存在証明

神は存在するのか?・科学的見地では?

もしそんな神が人類や世界や宇宙を創造というのなら、人類以外の知的生命体、例えばユミットに人類が認識するような神が存在してもおかしくないはずですね。確かにユミットの「あの世」と「魂のネットワーク」といった説(以下参照)は、我々の考える神に似てなくもない。しかしながら、その「あの世」の存在については、すでにそれが神ではないと私は結論しました。
ユミットは「あの世」と「魂のネットワーク」をどのように発見したか?

もし今、我々人類が消滅したとするなら、我々の神も存在しないことになるでしょう。なぜなら神を認識する者(人類)が誰もいなくなるからです。えっ?そう・・・でもここで別の問題が生じますね。では「あの世」を創ったのは誰なんだ?ということです。神を創ったのは誰か?と同じような質問です。

上の私の観点からすれば、人類と世界を創造したのは神サマでなく、我々人類の意識こそが世界と神を、さらに宇宙を創造したことになります。まあ、あたりまえなことなんだけど。それでなければ、人類の脳(心)の中で単にイメージされているだけの神が、我々という実体を作り出したというパラドックスになっちゃう。見方を変えれば我々自身が神で創造主なのだ、とさえ言えるでしょうね。ついでながら、天国と地獄という観念も単なる幻想に過ぎないんです。

かつて指摘したことがある、ユミットが言うところの、知的生命体の進化によって宇宙も進化する(以下参照)という意味も、この考えを基にすれば理解できるでしょう。我々人類が現在進行中の進化を達成し、進化したあとの頭脳と意識によって宇宙を眺めれば、我々の宇宙に関する認識が変わります。すなわちそれは、進化した我々が進化した新たな宇宙を認識するということに他ならないのです。
進化する宇宙が現生人類を創造した?

さて、ここで肝心な「あの世」を創ったのは誰か?ということだけど、今まで記述した理屈から言えることは、どうやら宇宙に生息する全ての知的生命体の集合意識(「あの世」の意思も含まれる)こそ、すなわち宇宙そのものなのだ、といえそうです。そして現在人類が認識している神は、宇宙のちょー巨大な集合意識の中の、単にローカルで極小な意識でしかないので、前に書いたように、もし我々が消滅すれば神も消えてしまうのです・・・・なんぞと話したところで、みなさんは簡単に納得できないでしょうけど。

それでも上に書いたように、(やがて死んで「魂のネットワーク」のメンバーになるだろう)我々自身が神で創造主なのだ、ということについてみなさんに熟考してもらえるのなら、やがてその理屈に矛盾がないことに気づくでしょう。もし我々が。我々の宇宙に存在する、人類を含む全ての物質は、その全知的生命体の集合意識が素粒子を結合させて作り上げたものなんでしょうね。

それゆえ我々人類は、全知的生命体の一員として進化しなければならない。すなわち、人間の存在理由は、それ自体の継続的な進化(以下参照)にあるというわけです。
人類進化イヴェントとはなにか?