2007-05-14

21世紀に大変革は起こるか?-25

政治体制の大変革:
書いている本人自身驚いているのですが、このタイトルでごちゃごちゃ書き出してから、今回でなんと25回目になりました。大体の結論は用意していたもの、途中でどんなあんばいになるか予想できませんでした。でも書いているうちに、ホントに残念なことに、他の(もっと奇想天外な)オプションを思いつくことができませんでした。

まずは常識的になってしまった結論を言いますと、「21世紀に大変革は起こるか?-3」で記述した、そのコンセプトが16世紀に書かれたところの「ユートピア」への回帰であろうと思えます。もっと古くは、よくSF話などでネタにされるプラトンの理想国家、アトランティスみたいなものかもしれません。

ただしユートピアの共通した特徴として、「一般市民の下に奴隷や囚人を想定し、困難で危険な仕事をさせている場合がある」とありますが、未来のテクノロジーの進歩を考慮すれば、これは人間の奴隷などではなく、アシモフのSFや映画の「アイ・ロボット」に登場するような、より完成されたロボットがその任に当たると考えられます。

また、「変更すべきところがもはやない理想社会が完成したので、歴史は止まってしまっている(ユートピアは、ユークロニア(時間のない国)でもある」という点にも同意できません。なぜなら科学技術の発展に終わりがあるとは思えないからで、あってはならないという希望的な理由からです。

以前、面倒くさくてわかりにくいイデオロギーについて考察しました。現在の世界を率直かつうがって見れば、なんとか主義の政治体制なんていうシステムは、よく考えられたとはいえ、残念ながら単なる理想または分類、体系化であったと思えます。すでにほのめかしたように、例えばマルクス、エンゲルスの考えたことは、ロシアや中国に社会、共産主義革命を起こしましたが、旧体制において不利益を被っていた大多数が一致団結して圧制者を倒すための名目ないしスローガンに過ぎなかったとも言えます。

革命が成就したのち、血なまぐさい権力闘争を経て指導者となった連中は、旧支配者と同じことか、あるいはそれ以上にひどいことを被支配階級にやったはずです。要は、実践してみるとむしろ欠点のほうがボロボロ出てきました。よりマシだろうと思われた自由民主主義や資本主義にしても、グローバルな過当競争や物質至上、貧富格差などの矛盾が大きくなるばかりで、世界の安定や平和という理想からほど遠いことは明らかです。

ブラジルを去る前に、パーパ(ローマ法王)はカリブ・ラテンアメリカ司教会議の冒頭に演説しました。それはカトリックの政治的な立場の強化を意識したのでしょう。イデオロギーをすでに過去のこととして、ラテンアメリカにはびこる権威主義(チャーベス大統領のことか?)をいましめ、我田引水ながら、このタイトルで論じているような理由によって、共産主義と資本主義が標榜した社会正義や安定に関し、「イデオロギーの偽りの約束」と批判していました。私はバチ当たりな仏教徒であって、カトリックに距離を置く者でありますが、この件については、お説ごもっともと感じています。

所詮現実の政治では、その理念などは指導者の情念による解釈しだいでどうにでもなるでしょう。逆に環境が変わったにもかかわらず理念を原理主義で墨守するなどは、柔軟な解釈よりさらにバカげているでしょう。人間にとって重要なのは、良くも悪くも幸福感、満足感の達成であって、それは政治体制にかかわりなく、為政者のやり方しだいでどうにでもなってしまうのでないか?と思えることです。

つまりローマが勃興したころから政治は本当に進歩したのでしょうか?未来では、おそらく民主的な方法で指導者が決められると思われますが、以上のことによって、どのような政治体制であらねばならないか?ということは、私にとってたいして重要なことではありません。

ここで人類が世界の安定と平和を心から求めるようなったとしましょう。「ビッグ・ブラザー」?の一角を占めるかもしれない、陰謀ヤさんの大好きな、世界金融と紛争、戦争を闇の世界でコントロールすると言われる、なんとか家やナニナニ結社などという利益、利権集団などはどうなるのでしょうか?

面倒なので詳しい検討をしませんが、もし世界の安定が確固たるもになれば、例えば武器商人などがビジネスを広げるため世界に干渉するのは難しくなるでしょう。社会の安定化によって心の不安感が払拭され、精神に充足感、安定感が得られれば、ドグマの強い宗教もおのずから存在意義が薄くなり、アイデンティティーを保つための単なる習慣となってしまうかもしれません。

問題は、「21世紀に大変革は起こるか?-7」で触れたアンチ・ユートピアの管理社会でしょう。つまり人々は安定と平和を天秤ハカリの一方に乗せ、もう一方に自由やプライバシーの制限を乗せるわけです。しかし簡単に言ってしまえば、反ユートピア小説の描いた世界は、当時の恐怖を起こさせた全体主義的国家の反映だったことです。もし構成者全員が情念をコントロールした自覚を持った社会とすれば、たとえ「ビッグ・ブラザー」が管理するとしても、イギリスやブラジルの例のように、そのころはあなたも監視カメラに慣れていることでしょう。

気さくなあなたはカメラに向かって親指を突き立てたり、ピースサインをするようになるかもしれません。「よお、カメラさん。きのうは声かけてくれてありがとさん。なんせ酔っ払ってると、すぐその辺で寝ちゃうんだよな」なんて、カメラを見てあなたは話しかけるかもしれません。自由やプライバシーの侵害を過度に恐れるのは、情念の過剰ということになるでしょう。

先に挙げた、陰謀ヤさん達のネット内にある文章には、例えばなんとか家の陰謀話などについて実に詳しく、とてもよく書かれていて大変面白いのですが、こじつけっぽいところが多いようです。なにも本を買う必要はありません。あなたのようなスキ者でヒマ人なら、色々検索してみると面白いでしょう。ついては、次の記事もそんなことを考えながら興味深く読みました。私はフリーメイソンとなんの関係もないということを断りつつ、これをどう解釈するかは皆さんに任せることにします。
ベールを脱いだ日本のフリーメーソンたち

このタイトルについては、今回で一応の完結としました。また新たなアイデアが湧けば戻ることにしましょう。

続く

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