2007-03-31

21世紀に大変革は起こるか?-5

「ルーラ!ルーラ!ルーラ!」(ルーラ大統領候補の演説会場)
「ありゃ?おまえのオヤジ、ルーラが嫌いだろ?」
「うん、そうだよ」
「じゃあ、なんで応援するんだ?」
「このあいだ、ルーラが大統領になったらアメリカへ逃げるって、オヤジが言ってたからな。オレ、アメリカへ行きたいんだ」

これは1980年代のピアーダ(ジョーク)です。現職大統領、当時は左翼労働党の元万年ラジカル大統領候補だったルーラが、ラテン・アメリカ反米同盟を構築しつつあるチャーベス大統領をしりっぺにして、ブッシュ大統領に会うべく、アメリカへ旅立ちました。ビジネスの話だとはいえ、皆さん!これぞリアリストであるべき政治家の鏡です。

社会主義と共産主義、ファシストとナチズムと全体主義および独裁主義。学者に聞けばきちんと相違を示してもらえるかもしれませんが、私の感じではミックスやオーバーラップが多いようです。繰り返しになりますが、実態としての共産主義は、定義、概念からかけ離れて全体主義的、独裁的になったため、共産主義の本質がわからなくなっています。

つまり目的のための手段であった全体主義的施策が、結果として目的になってしまったと考えられます。けれども実際の中国や北朝鮮は、あいまいな「全体」の利益というよりも、むしろ共産党ないし独裁者という、特定された者の利益が優先されているため、独裁体制と言ってしまったほうがはっきりすると思われます。ブラジルでは、クーデターが南米に頻発した194060年代の軍部独裁を、明確に独裁体制と言っています。

そして彼らは、全体主義的、独裁的な特徴を最大限に活かして国民を外交に利用していました。つまり扇動ですね。民主主義にしても、極端な場合を想定すれば、選挙結果を違法操作し、メディアを使った世論を操作する巧妙な手段があれば、視点によっては、全体主義とたいして変わりがなくなります。ブラジルでは、電子投票システムの採用により沈静化していますが、南米全体で見れば、選挙の度に開票操作疑惑でケンカが起きています。民主主義のチャンプ、アメリカでも選挙疑惑が絶えませんね。

ウィキペディアで検索していくと、なんとか主義、かんとか体制がキメ細かに分類されています。ここでざっくばらんに言ってしまえば、細かな定義、分類など、私にとってたいした意味がありません。イデオロギーをひとつの「システム」と勝手に解釈させてもらえば、これらの分類されたシステムがどんなにアタマの優れた人間や、どれほどエライ人物がどれほど緻密に作ろうと、結局のところ、人間のエッセンスである情念、すなわちこちらでは、「7つの原罪」を打ち負かすことができない。これが私の結論です。

ハンチントン氏は以上のようなイデオロギーに、忘れ去られていた?中世的な宗教まで加えて世界を混沌にしようと目論みました。共産主義に打ち勝った市場原理主義もグローバリズム(アメリカ文化)も、やがては(近い将来かもしれません)疲労し、別な統治体制が求められると思われます。こちら南米では、くだんのチャーベス大統領が社会主義復活を狙っているようです。もしチャーベスが男を上げ、彼の統治体制がのちに記録されるとしたら、チャーベス主義とでも呼ばれるのでしょうか?それにしても人間の情念は実に根源的なものです。

これを「なんとか主義」統治体制によってコントロールすることが並大抵のことでないことは、ブラジルの混沌に住む私にとってはよく理解できるし、ほとんど不可能とさえ感じます。ネットでの情報によると、腕力によって制圧できるはずの中国の混沌も凄まじいでようです。そこへいくと日本人は、おそらく世界でもまれにみるほど素直でコントロールしやすい人種なのではないでしょうか(失礼!)。社会主義国家といわれるのも感覚として納得できます。

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